あの松坂選手もレーシックを受けましたブログ:2020/1/25
中学校の入学式の日、
わたしは制服を着て、小学校のグラウンドに集合しました。
地元の公立中学に入学するので、
ありきたりの制服なのですが、
それでも少しオトナになった気がして嬉しかったものです。
わたしには特段の想いもありました。
年末に、父が入院し、紙一重の幸運で生還したのですが、
まだまだ本調子ではなかったと記憶しています。
親しかった何人かの友達のうち、
既にママが亡くなっていた友達もいたし、
わたしの父と同時期に病に倒れ、
後に闘病の果て父が他界される…といった友達もいました。
十三歳の春、
それぞれの環境や想いを抱いての入学でした。
父はそれから二十四年間、元気に生きてくれましたし、
わたしたちの側から見れば、孫達とも逢えているので、
完全ではないにせよ、納得のいく人生だったのではないでしょうか。
父が倒れたのはちょうどクリスマス。
どんなお正月だったのか全く覚えていませんが、
ママ方の叔母や祖母がとてもよくしてくれたことを覚えています。
幸い父は戻ってくれましたが、
わたしの気持ちの中では、全くお正月どころではなかった…
将来の自分の行く末を考えたりしたことを後で恥じましたが、
当時仲良しだった友達も父が闘病中で、
そのためではなかったにしろ、
ずいぶん一緒にいて、二人で色んな話をしました。
友達の父は、
突発的な事態の急変であったわたしの父とは違い、
時を経ることが命の長さと直結していましたから、
本当に瞬間瞬間が大切だったんだな、と今にして思うのです。
自分のことばかり考えていて、
自分が恥ずかしくなったのは、
そんなことを重ねている友達家族をみたからかもしれません。