レーシックを受けることの出来ない目の状況ブログ:2019/6/05
僕の家は一年中、
父の知らない秘密でいっぱいだった。
お母さんとお姉さんと僕は、
クリスマスも誕生日も雛祭りも、
チーズケーキを囲み歌を歌い写真を撮り、
イベントはきちんと三人で迎えてきた。
僕とお母さんが、
また、お姉さんとお母さんが冷戦状態であっても、
父が家族の出来事に
クチを挟むことは殆どなかった。
仕事やつき合いで
いつも午前様か単身赴任だった生活も、
ようやく落ち着いた頃には、
もう娘達は部活や試験や遊びに忙しい学生になっていて、
家族みんなで食卓を囲むこともあまりなくなっていた。
そして就職、独立、結婚…
ますます距離が離れてゆく娘達に、
これが一般的な父と娘のスタンスだと、
父の方も割り切っていたのかもしれない。
「ちょっと具合が悪いらしいの」
お母さんから電話を受け実家に行くと、
父は布団の中から出ようとしなかった…
相変わらずの病院嫌い。
必死の説得で、
やっとのことで病院へ行かせると即入院となり
「ご家族の方は覚悟を決めるように」
という厳しい言葉までいただいた。
千歳のお姉さんも呼び戻され、
お母さんは何度も
「好きに生きてきたんだから、いいよね」と言った。
入院した当初、僕がお見舞いに行っても、
父は全く起きあがる気配すら見せなかった。
病室を出た後は毎回、
これが父の姿の見納めなのではと不安になった。
そんな父が、
初めて僕のムスコ達を病室に連れて入った瞬間、
電気のスイッチを入れたような輝きを放った。
父は体質をゆっくりと起こし、
そして短く「おっ」と言った。
昔、新聞を読んでいる父が顔をあげて、
僕の運んだ晩酌のビールを見つけた時のあの顔だった。
子ども達との穏やかな空気に包まれて、
何と幸せそうな様子だろう。
もちろん、それから僕の見舞いは必ず「孫持参」となった。